vol.49-㉘ 支援者が障害を作っている!?
病気を治そうとするから病気になる(4)
前回の続きです。
10代の女の子が自死した経験を通じて僕の中で沸き起こったこと。
それは、
「支援て何?」
ということでした。
なぜこんな若い人が自ら命を絶たなければならなかったのか。
支援者は、そんな人たちを救う人ではないのか?
きっと支援者は、
「できることはやった」
「仕方なかった」
「いやもっとできることがあったのではないか」
「かわいそう」「辛い」「悲しい」
そんな風に頑張った自分を作り上げ、仕方なかったのだと正当化し、それでも何かできなかっただろうとか反省し次に経験を活かそうとしている“優しくて良い支援者”を演じ続ける。
そんなことどうでもいい!
結局自分のことばっかり考えている。
自分が傷つかないように、自分が良い支援者でいられるように、
そんなことばかり考えている。
これ何?
何なの?
そんなマグマにも似た怒りが僕の中で沸き起こってきたのです。
違うでしょーーーーー!!
支援者のせいで追い詰められたんじゃないの!?
支援者の正しさが苦しめたんじゃないの!?
支援者が常に理想像からの引き算をして、
そうじゃない(理想通りではない)あなたはダメな人、劣った人、変わるべき人、を隠れたメッセージとして伝え続けてしまったからじゃないの?
そんなシグナル(信号)を送り続けたんじゃないの!?
自分で死を選んだから「自殺?」「自死?」
それは仕方なかった?
結局自殺はその人の責任?
本当に?
本当にそう?
絶対に違うでしょーーー!
その人が「死」しか選べないように追い詰められたからでしょー!
引きこもっていていいよ
病気でいいよ
ダメでいいよ
借金していていいよ
嫌われていていいよ
学校行けなくても仕事できなくてもいいよ
勉強できなくても運動できなくてもいいよ
いいよ
いいよ
それでいいんだよ
それでも近くで見守っているよ
いつでも力を貸す準備はできているよ
と誰か一人でも心の底から伝え続け、そして手助けできれば、「死」以外の選択肢を持てたはずです。
「いやいや、支援者は支援をするのが仕事です。
何もしない。悪いことも全て認める。
そんなこと出来ない。」
とおっしゃる方。
(昔の僕です。ごめんなさい。)
だから僕は言っているんです。
支援者が障害を作っている! と。
まずはこのことを自覚しなければならない。
このことを認めなければならない。
そのように考えています。
「そんなに重く考えていたら支援の仕事なんてできない。
相手の死を背負うとこなんてできない。
そう思いますよね。
僕は、
「もっと責任を重く持って支援しろ!」
とか
「相手の結果(死を含めて)を自分の責任だと背負い込め!」と言っているのではありません。
そういったことが出来ないからこそ、その出来ないことを認めませんか?と言っているのです。
それを責任背負ったふりをするなと言いたいわけです。
(過去の自分への怒りと思って聞いてください。)
長くなってきたので、詳しい説明は次回にさせていただければと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
イロハニトイロ所長
金村栄治